本当に大切なもの

皆さま、こんにちは。夏の本番はこれからなのに、すでにいささか蒸し暑過ぎる日もあり、思わず「異常」を感じてしまいます。しっかり水分補給するなどして、安全な夏を過ごしたいですね。

さて、最近昔の探し物をしていて、母がつけていた日記を見つけました。家計簿や大判の日付入りの手帳などによく記録していた姿を思い出しますが、その一部です。私のことも書かれていて、私が忘れ去ってきた人生を母が記録にとどめておいてくれたようで、今さらながらお礼を言いました。私はいわゆる日記として記録してきたものはありませんが、母が残してくれた記録を見ていると、私が今日、何をしたかを記録することは、自らの人生をよりよく作っていくのには必要なことのように思いました。大それたイベントなどなくても、何があって・何を感じた私か、それを振り返り、記録することだけでいい。私が忘れてしまった一日やできごとが、母が私について残してくれたわずか数語、わずか数行に残っているだけで、私の人生がよみがえるのです。私が見つけた母の日記は私が高校に入学した1979年(昭和54年)のもので、45年前の今頃、6/23日の私は怪我をしていたようです。母の記録には、「学、野球。手が治るまで大切にしろと言うのに、私のいうことは気に入らない、始めるらしい」とありました。私にはまったく思い出せませんが、紛れもなく、その事実はあったのだと思うし、私の生涯の一部分を取り戻したような有難さを感じてしまいます。

つい、目先の損得勘定に気持ちが向かいがちな現代ですが、私ぐらいの年になってくると、自分の人生をいいものにしたいと思いますし、その際に必要なのは儲かった!という結果よりも、「頑張った」という自分の思い出のように思います。仕事をしていると、結果がすべてのように勘違いしますが、当社においては、最高の結果は目指すにしても、人への優しさや自らに胸を張れる努力が、それに優先してほしいと思います。

研修でお世話になっている先生が、会社の通信で紹介した話が、とても感心する内容でしたので、そのまま紹介します。(以下引用)

私は以前、全国社会福祉協議会の研究開発委員をしていて、ある障害児の施設に行ったときのことです。
その施設には、翌日で卒園するひとりの少女がいました。彼女は、母親が失踪し、父親が肝臓病で入院をしたため、施設に預けられたそうですが、知的に障害があり12歳になってもまだお金の区別がつきませんでした。

施設を出てから彼女が困らないようにと、女性職員が1円硬貨から1万円札までのお金を順に並べて、「このお金が5つでこれだよ!」「これが10個でこれだからね!」と、卒園していく彼女にお金の種類を教えていました。
翌朝、私が出発の準備をしていると、その職員が「よかったら彼女の勉強の成果を見ていってください」と言うので、彼女の卒業試験に私も立ち会うことになりました。

テストの前に職員さんはもう一度お金を並べて「このお金が5つで、これだよ」と説明し、そのあとで「それじゃあ、この中で一番大切なお金はどれ?」と彼女に尋ねました。

私は「さすがにこれだけ説明すれば、当然1万円札を指すだろう」と思って見ていたのですが、その子はニコニコしながら10円硬貨を指差したのです。
「あれ、そこにいっちゃうの!」と思って見ていると、その職員さんはガッカリした様子も見せずに、「ごめんね。教え方が悪かったね。もう一度説明するね!」と言って、また「このお金が5つでこれだよ!」と説明を始めました。その職員さんの姿には本当に頭が下がりました。

その説明が終わると、職員さんは彼女にもう一度「じゃぁ、この中で一番大切なお金はどれ?」と尋ねました。

私は「今度こそ1万円札を指すだろう」と思って見ていたのですが、その彼女は嬉しそうに微笑みながらまた10円玉を指差したのです。さすがに今度はその職員さんもガッカリした表情で何かつぶやいたあとに、「どうしてこれなの? こっちじゃないの?」と1万円札を指差しました。すると彼女は笑いながら、「これがあるとお父さんの声が聞こえるんだもん」と10円玉を指差したのです。
携帯電話を持たない彼女にとって公衆電話が父親の声を聞ける唯一の手段だったのです。

この彼女の答えは、本当にショックでした。「一番大切なお金」と言われて、1万円札だとばかり思っていた自分が本当に情けなくなりました。私よりも知的障害を持ったこの子のほうがよほど大切なものをわかっていると思ったのです。

サイパンのバンザイクリフでは、誤った教育のためにアメリカ兵が止めるのを振り切って多くの日本人が身を投げました。今思うと信じられないことですが、もしかしたら私達も子供たちに誤った教育をしているのではないでしょうか? 何十年か経ったときに、その答えが出ると思います。
(引用終わり)

この内容は、20年前の通信で紹介したものだそうですから、20年が経ち、ある程度の答えが出ていると思いたいのですが、企業経営に携わる私はまだ未熟で、当社にあっては、お金よりも大切なものはこれだと示し、それに全員で向かえているとは言い切れないと思いました。

自身の生涯があとどれくらい続いて、間に合うかどうかはわかりませんが、大切なもののために働く会社づくりをこれからの私の課題にしたいと思います。

プラスデコ代表 原田 学