2019年 新年のご挨拶
あけましておめでとうございます。旧年中は格別のご愛顧を賜り誠にありがとうございました。
今年は暦の巡り合わせで、いつもより長めのお休みとなった方も多いのではないでしょうか。しっかり英気は養われましたか。
さて、本年は天皇陛下の御退位及び皇太子殿下御即位の年、新元号がスタートします。新年や新元号は私たちを「新た」な気持ちに誘ってくれる最高の環境ですが、その「気」を「動き」に変換しないとシュッと「新た」はしぼんでしまいます。今日は私の「新た」についてお話しますね。
昨年の後半に私が実感したいくつかは、「わかった!」と思っていたことが本当はわかっていなかったり、「できる」と思っていたことが実は勘違いだったり、ちょっと情けない思いをしました。とまぁ、ここまで書いてもそうだし、人の前で話すときにも同じですが、つい反省的に表現しちゃう。でもこの反省、嘘ではないけれど無意識に「私は何がいけないを知っており、どうすれば良いかもわかった(わかっている)」と正当化をしちゃっています。人の脳は正しいことよりも楽しいことの方がより印象に残るし、続けられるとはよく言われます。それをわかっていながら、私は無意識に「私って正しいでしょう!の安全圏に留まろうとする。
もう一つ。私は「知っている」と「できる」は違う次元のことだとも理解していて、すれば良いと知っていることの多くは「できる」と自負していました。皆に話せば「すごいね」って言ってもらえそうな習慣化の実績がいくつかあるからです。でも、誰でも普通に大切にしている「時間厳守」のような当たり前の習慣は、言い訳をして反故にしてきた。自分を正当化するためやかっこいいと言ってもらえそうなことの習慣化は得意でも、できて当たり前で相手や周りの人にがっかりさせないことの習慣化が苦手なのが私。これ、わかってしまうと情けないことです。
と言うことで、2019年の私の「新た」に向けて自分とする約束は、「時間を厳守する」「言い訳しない」「私の言葉は相手のために使う(分り易く数字を交える)」。皆様からすると力の抜けるような内容に思われるでしょうね。しかし、「相手が楽しくなること、喜んで頂けることって何?」に本気な私を投じるには、どれも不可欠な私の新習慣だと思っています。節目の年に、私の大改造、「私の終わりで始まり」。右往左往しながらでしょうが、「反省」よりも「勇気」を投じる私になります。
最後にアラン&バーバラ・ピーズの『ブレイン・プログラミング』の一文から...
老人が孫息子に言った。「誰の中でもニ匹のオオカミが争っている。一匹は悪いオオカミだ。
これは、怒り・嫉妬・貪欲・恨み・劣等感・嘘・身勝手のこと。もう一匹は良いオオカミだ。
これは、平和・希望・喜び・愛情・謙遜・親切・共感・真実のこと」
孫はしばらく考えてから聞いた。「おじいちゃん、どっちのオオカミが勝つの?」
老人は静かに答えた。「餌をやった方だね」
どちらに餌を投じるか、私にはこれを決めることができます。
本年が皆様にとりましてかけがえのない実り多き一年となりますようお祈りしています。
正しくより楽しく競い合う仲間と
プラスデコ代表 原田 学