「三福」
あけましておめでとうございます。旧年中は格別のご愛顧を賜り誠にありがとうございました。
私たちには誕生日や結婚記念日、会社なら決算日など、一年を区切る機会がいくつかありますが、自分に直接は関係のない新年という区切りに、これほど自らの新たを期待するのはどうしてなのでしょう。理由はさておき、そんな気持ちになる新年を活かしたスタートを切りたいものですね。
さて、私が社員さんから頼まれ、今年に積み残した宿題に新しい現場シートの作成があります。当社のメッセージをシートに表す内容で、それはデコのメンバーが昨年の研修で学んだ「三福」にちなんだものでした。 私にはとても嬉しいアイデアでしたので、今日はその話をさせていただこうと思います。
ご存じの方もいると思いますが、「三福」とは作家の幸田露伴が福を身につける3つの道として示した、 「惜福」「分福」「植福」です。本当に福に恵まれるかどうかはさておき、福に関するしっかりとした考えと態度を持つことは、私たちが幸せになるために大切なことだと思います。
運が巡ってきて福に恵まれたとき、恵まれた福を使い切らずに、その福の一部を巡っている運にお返しするような気持ちでとっておく。その心掛けが惜福です。福(幸運)になんて恵まれていないと思うこともあるかもしれませんが、私は権利と義務があるなら、権利を使い切らない選択をすることも惜福と言えると思っています。
次に「分福」は、自分にやって来た福を自分で使い切らず、いくらかは分けていくこと。あるいはその福を他の人にも及ぼしていくことです。高額な宝くじなどに当選すると換金する際、「その日から読む本」という小冊子を渡されるそうですが、そこにはむやみに他言しないことが書かれているとか。「分福」の勧めが書いてあったりすると気が利いているのにと思います。「分福」の方も、分けるほどの福(幸運)になんて恵まれていないと思ったら、権利と義務のうち、余分に義務を引き受けることも分福と考えてみようと私は思っています。
最後の「植福」は、いつになるか、どこに行くのかも分からないけれど、いつか誰かに巡っていく福の種を蒔き、幼木を植えておくことだそうです。植福は、自らに訪れた福に対する惜福や分福とは異なり、未来に対して誰かのために福を作り出す行いなので、だいぶハードルが上がりますね。
露伴は「福を論じて最も重要なのは植福である」と言っていて、リンゴの木を譬えにして説明しています。
リンゴの木を植え、必要に応じた剪定をして木を長持ちさせるのは惜福です。そうして豊かに実った果実は自分が味わうのはもちろん、他にも分けて楽しみます。分福です。さらにリンゴの種を蒔き、幼木を育ててリンゴの木を増やしていきます。増やしたリンゴの木がつける果実を、自分は味わえないかもしれませんが、子や孫と次の世代がそのおいしさを堪能することになると思います。これが植福ですね。これを繰り返すと、浅薄な私流に言えば「限りない福(幸せ)が広がる」のだと言います。
私たちはいま、かつてなかった高度な文明に包まれ、豊かさを享受して暮らしています。スマホを手に取っても、車に乗っても、パソコンを開けても、その進化ぶりに驚くばかりです。大した努力もしていない私がこの豊かさ(幸運)に巡り合えたのは、先人をはじめとする私以外の誰かの植福のおかげであることは間違いありません。そう考えると、いただいた幸せがないわけがありません。惜福や分福はいつのときにも行う幸せがあり、 今する仕事の中にも、いつの日か後進が役立ててくれたり、踏み台にしてくれるような「植福」のチャンス、幸せづくりの機会があると思います。若い世代が「三福」をテーマとしたメッセージを現場シートに掲げたいと言ってくれたことを私は本当に頼もしく思っています。本年は自分中心な私たちから少しでも脱皮して、先人の教えや原理原則を踏まえ、三福の営みを自らの幸せとして働く私たちになって進んで参りたいと思います。
皆様の2025年が、ご健康で実りの多い、かけがえのない年となりますことを、心よりお祈りしています。
プラスデコ代表 原田 学