4月2日、3日、4日 諏訪大社”御柱祭” 上社 山出しが行われました。
渋滞や駐車場の心配をして迷いに迷った挙句、ひと目でも見れればいいのでと、15:00予定の前宮三之御柱[川越し]に間に合うように杖突峠へ向かい車を走らせました。道中、高遠藤澤地区では、神社の春祭りが行われており、のぼりや神輿をかついで移動する住民の姿が見え、まるで黒沢明監督の映画『夢』の1シーンのようななつかしい感覚にとらわれ、写真を撮りたい気持ちもあったのですが、7年に一度の御柱祭を見ないといけないので断念。
祭も3日目の午後3時近くとなると、人もだいぶ減って駐車場にもすんなり入れ、いざ会場へ。
下社の[木落し]は1998年に見たことがありますが、上社の御柱ははじめどこを通るのか???
御柱は川を越え、有料観覧席の仮設架台間を通り(写真左)、御柱置き場「御柱屋敷」(写真右)に安置される。
曳行を終え、御柱に付いていた(V字に付ける)メデドコをトラックに積み込む氏子の方々。
メデドコでもこの大きさなので、御柱の太さがわかっていただけると思います。
良く見えそうなスポットを探して見当違いの所を歩く(写真左)。見事な有料観覧席の架台、良く見えそうだけど高くなり過ぎてないのでしょうか(写真右)。
15:00に近づき何とかよく見える角度の場所に辿り着いたが遅かった為、立ち見の3,4列目くらい。
何度も木遣りと、ラッパ・太鼓の演奏が繰り返され雰囲気を盛りあげ、もうすぐ御柱到着の様子。
昨日は、遅れが目立ったようですが、ほぼ定刻。
どこから御柱が登場するのか、隣の人に押されも踏ん張りながら待つ。
以下の写真、写真を撮る人が前にいたので、お悪見苦しい写真(特に動画)がありますが、ご覧下さい。
「よいさ」「よいさ」と氏子がたくさん乗った、メデドコがゆらゆらと見え始める。
またまた、木遣りと、ラッパ・太鼓の演奏があり、いよいよ御柱の[川越し]が始まりそう。
赤いふんどし姿の氏子登場!
まず、先行でふんどしの氏子が旗を持って川を渡る。かなり水温は低いらしい。
ヨッ、これぞ日本のお祭り!
次に、神輿に地区の長と思われる方を乗せて、御柱を曳く綱の先に結んだ細いロープを持って川を渡る。ちょうど白い旗で、長の姿が撮れなくて残念ですが、おじさま風の方が神輿に乗っています。
だいぶ川に、せり出して来ました。
メデトコのうしろ、御柱本体に乗っていた氏子も川の中に入り、綱を引く準備完了!!
「さあ、落としますよ~」と、拡声器で氏子と観客にお知らせされた後、ゆっくり『ザッポーン』と落ちました。
落ちたと同時に、スルルルルウ~と対岸にものすご勢いで引っ張られ、視界から消えました。
川へ落ちたところを見た観客が帰ったので、すかさず堤防を下ると、御柱はまだ川に浸かっていました。御柱を川で清める意味がある[川越し]。少しでも長く水の中にいるのがいいのでしょうか。
木遣りとラッパ・太鼓の演奏、「よいさ」「よいさ」の掛け声。ゆらゆらと左右に御柱を揺らし続ける。
川に落ちてから15分以上、水に入っていましたが、一気に堤防を上がり対岸で氏子に囲まれている御柱。
本日、前宮三之御柱の最後の「よいさ」「よいさ」。 曳行、無事終了です。
メデドコを外しています(写真左)。御柱を曳く綱は藤つるで出来ています(写真右)。大量の藤つるが必要な為、御柱祭用に藤つる畑があるようです。来なきゃ知らなかったことの一つです。
御柱置き場「御柱屋敷」に安置されている本宮一之御柱と思われる御柱。大きいです。
以上、家にいたら感じる事のできなかった 御柱祭 上社[川越し]の様子でした。
地域のお祭りって、その地域の氏子のものだから参加できないんだけど、見ているだけってなんかつまらない。
御柱を曳いている氏子の方たちがうらやましく思いました。
プラスデコスタッフの大野は、「諏訪地区で売ってる”なんちゃってハッピ”を着て、関係者のふりして混ざればいいよ。」と、アドバイスしてくれましたが、とても勇気がなくてできません。
[川越し]のみ見ただけですが、前宮三之御柱に愛着が沸き、5月の[里曳き]も見なくてはという思いです。
≪≪ 長野県伊那市 リフォーム 増改築 塗り替え ≫≫