伊那市には、425ヵ所もの遺跡があるそうです。その中のひとつ「原垣戸遺跡」に行き発掘の様子を見せていただきました。現地説明会は10月3、4日(土日)に開催されましたが、私は仕事で行けずやむを得ず、会社が定休日の10月5日に行きました。(※説明会以外の日でも、きちんと説明はできないが見学可能ということなので。)
この「原垣戸遺跡」は、伊那市最大の遺跡で、縄文時代と平安時代の遺跡が並んでいる場所。ということは、昔から人が住んでいたということは、安全で水が近くにあり食べ物もあり住みやすい場所だったということですね。
右手奥の色が少し濃くなっている四角い部分が、伊那市最大の竪穴住居の跡地、平安時代の遺跡です。平安時代でも庶民は縄文時代と同じような竪穴住居に住んでいたそうです。しかしながら、一般的な集落とは異なり、巨大な住居とその周囲を囲む倉庫群や出土したものから推測すると、当時、財力と武力を持った”平安時代前期の地域有力者の居住跡”と考えられるそうです。
茶碗やその欠片がたくさん見られました。
この遺跡には、『生』と書いた器がいくつか出土しています。この文字は何を表しているかというと、持ち主の名前、または、中に入れてある物の名前かもということです。
こちらも薄いですが『生』。
ここにも『生』。
中が黒くなった器もあります。
こちらの破片は『大』。黒とベージュ、土の色が違うのは、体積した年代が違うということです。遺跡を掘る目安として、土の色の違いを見るそうです。
伊那市最大竪穴住居後の隣にあるこちらの遺跡には、ほぼ器が見られません。
ここは、縄文中期初頭の竪穴建物跡。左手の方、炭の周りにオレンジ色の焼土が見えます。
たまたま遺跡にいた市役所の文化財係の方に、少しだけ伺いました。
A.なぜ、ここに遺跡があるとわかったのか?
Q.昭和40年代に、調べて歩いた方がいて、どこに遺跡があるとわかっている。
A.土がかぶっているのに、なぜ遺跡が埋まっているとわかったのか?
Q.土器等が表面に出ているので、遺跡の可能性がある場所がわかった。
A.今後、この遺跡はどうなるのか?
Q.土器等を回収後、宅地に造成されます。市の土地ではないので保存したいができない。
ということで、この遺跡は、これから造成され、どなたかの宅地になるようです。伊那市最大の遺跡とて、伊那市は地主さんではないので泣く泣く埋め立てられるのですね。地下に遺跡があることをわかって住むってどんな気持ちでしょう。住むには、とてもいい場所だとは思います。一年後には、住宅が立ち並んでいるのでしょうね。
伊那市の遺跡についての詳細は、伊那市のホームページ(伊那市遺跡分布図)で見ることができます。興味ある方は覗いて見てくださいませ。
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