社長の思いつ記

かぎりなくやさしい花々

皆さま、こんにちは。これを書いている今は、台風10号があちこちに大きな被害をもたらしながら、ゆっくりと関東圏に近づいて来ているところです。これ以上、被害が広がらないことを切に祈っています。

さて、皆さんは星野富弘さんを知っていますか?私はこの4月に、当社を指導して下さる先生から教えてもらいました。すぐに自伝的な「かぎりなくやさしい花々」と数冊の詩画集を購入して読んでみました。
星野富弘さんは1946年に、群馬県の現みどり市に生まれています。活発で器械体操が大好きだった星野さんは、大学を卒業してすぐ、中学校の体育の先生になりました。しかし部活動の指導中、マット上で宙がえりをした際に、頭から落ちてしまいます。失敗すること自体は、体操選手にはよくあることだと思いますが、すぐに起き上がろうとしても、首から下の感覚すべてがなく、まったく動けない状態でした。星野さんはこのとき、頸髄を損傷してしまっていたのです。

病院に運びこまれた星野さんは、大手術を何度も受け、高熱を出し、人工呼吸器をつけるなど、壮絶な日々を過ごします。2年が経つころには、治療や周囲の看病のおかげで、自分で呼吸ができるようになりますが、首から下が動かないのは変わらず、自分でトイレにも行けず、食事も食べさせてもらわなくてはならず、ただただ、天井を見つめるばかりの日々を過ごしていたのだそうです。

そんな星野さんの変わりばえのしない毎日を変えたのが、口にペンをくわえて文字を書いたことでした。 本の中で星野さんはこの時のことを、「目の前がパァーッと明るくなりました」と書いています。本には最初に書いたころの文字がいくつか掲載されていますが、もし私が同じ状況で、同じように初めての文字を書いたとして、「目の前がパァーッと明るくなった」と思えるだろうか?星野さんはもう、私の想像を絶しています。口に血をにじませ、歯を食いしばって書いた文字。星野さんは、器械体操の技が、毎日の練習でだんだん身につくように、一文字一文字、器械体操をはじめたときのような気持ちでやってみよう、と取り組んだそうです。

星野さんには、牧師になった大学時代の先輩がいて、その方からもらって読んだ聖書から、たくさんのものを受け取ったようです。

今日あっても、明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどまでに装ってくださるのだから、まして、あなたがたに、よくしてくださらないわけが、ありましょうか。(マタイの福音書 六章)

病室から見える庭の花々、お見舞いの方からもらって、母が窓辺にいつも飾ってくれる花々。この聖書の言葉を思い出しながら花を眺めた星野さんには、小さな花が雄大な風景に見えたと言います。こうして星野さんは、口に筆をくわえて、今度は身近にある花の絵を描きはじめました。絵には、みじかい詩をそえるようになりました。

今、私が手元に置く星野さんの花の絵は、口で描かれたものとはとても思えないし、添えられた詩はどれもそっと私の心をさすってくれるようです。私が不満を思ったり、不安になったり、難しいとか、自分には無理!と軽々しく思うのは、いつもしてもらうことが当たり前になっていて、もっと!もっと!とほしがっているからなのは、星野さんの詩画集を観ればすぐにわかります。星野さんは本の中でこう書いています。

(前略)からだには傷をうけ、たしかに不自由ですが、心はいつまでも不自由ではないのです。不自由と不幸は結び付きやすい性質をもっていますが、まったく別のものだったのです。

私のからだは自由になるのに、心を不自由にしているのは、私自身です。
星野さんの本を読み、詩画集を観たら、軽々しく、自分には無理だとか、自分には才能がないなどとは言ってはだめだと思えます。とても残念なことですが、私が星野さんのことを知り、本や詩画集を読ませていただくようになって少ししてから、新聞の朝刊で星野さんの訃報を目にしました。そのときに思い出したのが、「かぎりなくやさしい花々」という本のあとがきの中にあって、私が書き留めていた一文です。

散って行く花の横に、ひらきかけたつぼみがあり、枯れた一つの花のあとには、いくつもの実が残されます。人間が生きているということは、なんと、ひと枝の花に似ているのでしょう。

せっかく生きていくのですから、ひと枝の花のように、私の作る心の不自由さなどで自分を縛らず、自然に伸びて、花開くことに精一杯でありたいと思います。星野さんは詩画集の中で、「自然を守ろうとなどという人の身体も自然そのもの。人間という自然も守ろう」と書いています。

プラスデコ代表 原田 学

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